ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)の共同創設者である
ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)が死去。家族が発表。82歳でした。
以下、家族の声明より
「私たちの最愛の父、ブライアン・ウィルソンが亡くなったことを悲しみをもってお知らせいたします。
今は言葉も見つかりません。
家族は悲しみに包まれていますので、ご配慮のほど、よろしくお願い申し上げます。
私たちは悲しみを世界中の方々と共有していることは理解しております。
愛と慈悲を込めて」
死因は明らかにされていませんが、ウィルソンは2024年の初めに、認知症に似た神経認知障害を患っていることが明らかにされていました。
ポップミュージックの歴史において最も愛されてきた伝説的なソングライター、プロデューサー、アレンジャー、パフォーマーであるブライアン・ウィルソンは、1942年にカリフォルニア州イングルウッドに生まれる。
10代の頃、兄弟のデニスとカール、いとこのマイク・ラヴ、高校・大学の友人アル・ジャーディンとともに、ペンデルトーンズというバンドを結成。彼らの最初の曲「Surfin’」をCandix Recordからリリースしたが、そのレコードにはバンドのメンバーの許可なく「ザ・ビーチ・ボーイズ」という名前がクレジットされていた。
1年後、バンドはキャピトル・レコードと契約し、デビューアルバム『Surfin’ Safari』をリリースした。翌年、「Surfin’ U.S.A.」がビーチ・ボーイズの最初の全米トップ10シングルとなった。当初はサーフロックを強調していたが、すぐに他のテーマも取り込むようになった。
1964年、ウィルソンは、バンドの過密なスケジュールによるパニック発作を経験し、ビーチ・ボーイズのツアーを辞めることを決意した。彼はプロデュース業に専念し、1965年に画期的なアルバム『Pet Sounds』の制作を開始した。ウィルソンは、有名なスタジオミュージシャンであるレッキング・クルーと協力、彼らは『Pet Sounds』のセッションの立役者となった。発売当時、『Pet Sounds』は商業的には成功せず、批評家からも酷評されたが、次第に、その文化的、歴史的、審美的な重要性が認められ、今では史上最高のアルバムの1枚として世界的にも認められている。
ウィルソンは、このアルバムの続編として『Smile』を企画するが、度重なる延期を経て、この企画は中止となってしまう。その後、ウィルソンのビーチ・ボーイズにおける楽曲制作、レコーディングへの関与は限定的となっていき、心身の健康状態は悪化の一途を辿っていく。70年代半ばから80年代にかけて、精神科医ユージン・ランディのもと治療を行った。彼らの数十年にわたる治療は、後に伝記映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』の題材となった。
1988年には初のソロ・アルバム『Brian Wilson』を発表。その後は、ビーチ・ボーイズに一時的に参加しつつ、ソロ活動を続け、彼自身の名を冠したバンドを率いて精力的にライヴを行っていた。
ウィルソンは2004年、「ロック界で最も有名な未発表アルバム」とも呼ばれるようになった『Smile』を再検討し、かつて破棄されたプロジェクトを再構築したアルバム『Brian Wilson Presents Smile』をリリースし、批評家から高い評価を得た。
2012年にはビーチ・ボーイズのデビュー50周年再集結プロジェクトに加わり、アルバムのレコーディングとワールド・ツアーに参加した。
以降もソロ活動を続け、彼の最後のソロ・アルバムは2015年の『No Pier Pressure』だった。2016年には回顧録を発表した。
ウィルソンはビーチ・ボーイズのメンバーとして1988年にロックの殿堂入りを果たした。ウィルソンは9回のノミネートのうち2回のグラミー賞を受賞し、ビーチ・ボーイズは2001年にはグラミー賞の特別功労賞生涯業績賞を受賞した。